Sep 08, 2009
塾講師として教壇に立って見て
友達に聞いて塾講師をしたことがある。大人の英語講師の経験があったが、子供相手には全く経験がなくて大変だった。プレーしたい仕方ない子供の整理に集中させ、学校とは異なり、点を取れるように訓練を集中的に行うべきである。スケジュールも過密で、少ない準備時間続けて授業を消化しなければならなかった。塾講師は再びしたくないと思った。私は大学時代に塾講師アルバイトをしていた可能性があります。も家庭教師のアルバイトをしたことはありません。自分が家庭教師に習ったことがなかったので、勝手に知らなかったからです。も友人聞けばかなり楽しそうでした。機会があれば、家庭教師アルバイトもしたいです。まず、勉強をします。
◇「多くの命、失ったのは何のため」
◇敗戦受け入れられぬ人も 終戦直後に潜水艦出撃騒ぎ
終戦直後、「戦争の継続」を主張して舞鶴をドクロマークの潜水艦が出撃したという記録が残っている。乗組員や動員学徒らが記したもので、海軍工廠(こうしょう)で働く人たちの声援に送られて出ていったが、結局、交戦することなく戻ってきたという。工廠で運転手をしていた舞鶴市福来の村越晴之さん(94)は出撃には立ち会っていないが、終戦直後、艦橋に白いドクロマークを記した潜水艦2隻が出入りしたのはよく覚えていると話す。【山本真也】
村越さんは1938年に工廠に入り、中国や南方での兵役の後、43年から再び、運転手として働いた。敗戦後、通常は日の丸などがある潜水艦の艦橋に白ドクロが描かれたのは異様な光景としてよく覚えているという。ある日、2隻とも消えていて、何日かたって元の場所に止まっていた。ドクロは黒く塗りつぶされていたという。
舞鶴二中の動員学徒だった男性(81)の回想によると、8月16日に4隻が出撃。級友と船をこぎ出して見送った。「私たちも敗戦は信じられず、沖縄に向かったと思い、米軍に一矢を報いてほしいという気持ちでいっぱいだった」という。ところが、潜水艦の目的地はソ連のウラジオストク。そこで一戦を交えるつもりだったが、漏水で潜れず、伊根沖で整備している最中に艦隊の上官が水上偵察機で飛来。帰還するように強く説得され、19日に舞鶴へ戻ったという。
出撃の日や隻数については諸説あり、17日に5隻で出撃し、24日に戻ったというものや、15日に「南無八幡大菩薩」の旗を立てて出て、数時間後に帰ってきたという目撃談もある。いずれにしろ、終戦後に潜水艦の出撃騒ぎがあったのは複数の人が証言している。
村越さんら工員は玉音放送の前に集められたが、終戦とは思いもせず、「本土決戦に備えて国民を激励されるのでは」と話し合っていた。内容は雑音で聞き取れず、勤務に戻ったが、夕方になって、「どうやら日本は負けたらしい」と騒ぎになった。
記録によると、玉音放送後の15日午後、鎮守府で指揮官会議が開かれ、工廠長は戦時態勢解除を指示したが、潜水艦に乗る士官らは「直属の艦隊から停戦指示を受けていない」と解除を拒んだとされる。ドクロマークは、出撃の際、海軍の指揮下から離脱し、上層部への影響が及ばないようにとの意図があったという。
工廠は戦後、造船所となり、村越さんは定年まで勤めた。90歳を前に戦争の記憶を手作りの冊子にまとめている。終戦を迎えた66年前の夏、舞鶴は空襲で多数の犠牲者を出し、延焼を防ぐため、多くの家が強制的に取り壊された。村越さんは「もう少し早く終戦を迎えていれば……。私たちは何のために戦争をし、多くの命と家財を失ったのか。平和ほどありがたいものはないと後世に伝えたい」と語る。
8月23日朝刊
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東日本大震災の被災地に、花の種を折り込んだ折り鶴を送る取り組みが府立植物園(京都市左京区)で行われている。入園者らは、震災で大きな被害を受けた被災地の復興への祈りを込め、丁寧に鶴を折っていた。
被災地に、緑と心の安らぎを届けようと、全国100カ所以上の植物園が加盟する日本植物園協会(東京都)が企画した。水に溶けやすい紙に、コスモスやヒマワリ、マリーゴールドなどの種を入れて折った鶴を同協会で集め、来年春に被災地の学校や仮設住宅などに送る。そのまま土に植えれば、初夏から夏にかけて、美しい花々が楽しめるという。
府立植物園では、園内の植物園会館に折り鶴コーナーを設置。来園者らがコスモスの種を折り込み、被災地へのメッセージを添えた。「笑顔が増えますように」と書いた府立桂高校1年、山岡優花さん(16)は「悲しい思いをした人たちが、少しでも明るい気持ちになってもらえたら」と話していた。
同植物園では9月25日までコーナーを設け、参加を呼びかけている。【田辺佑介】
8月23日朝刊
府は昨年1年間に府内を訪れた観光客数を発表した。約7674万人で、不景気や新型インフルエンザなどの影響で落ち込んだ09年(7408万人)から3・6%増。客数を公表している95年以来最も多かった08年(7799万人)に次いで2番目に多かった。
観光課によると、客数が回復した理由について、NHK大河ドラマ「龍馬伝」(10年)による幕末ブームや観光庁のビジット・ジャパン・キャンペーンと連動した、外国人観光客の積極的な誘致活動などを挙げている。
地域別では、昨年6月から実施された高速道無料化社会実験(既に終了)により、中丹で対前年比10・1%増、丹後地域で同2・3%増。特に中丹地域では福知山市動物園で子ザル「みわ」とイノシシ「ウリ坊」のロデオコンビが人気を集め、例年の3倍の来場者があるなどし、観光客増に効果をもたらした。
一方、南部では異常気象など夏の天候不良などが響き、南丹地域で同0・7%減、乙訓・山城地域で同2・8%減とそれぞれ微減し、南北間で格差が表れた。京都市域は初めて企画した「京の七夕」(8月)などの効果もあり、同5・7%増だった。
観光課は「10年はインフルやリーマン・ショックの影響から持ち直しつつあったが、今年は東日本大震災(3月)で外国人の落ち込みが激しく、本格的な回復は厳しいのでは」と予想している。【入江直樹】
8月23日朝刊
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